《長田武正先生追悼》 用語に戻る HPtop イネ科top 属の検索 inekayougo2
長田武正先生 2002/08/29日逝去 享年八十九歳
主な著書
『日本帰化植物図譜』(第一学習社 1967) 『日本帰化植物図鑑』(北隆館 1972) 『人里の植物 I』(保育社 1973)
『人里の植物 II』(保育社 1973) 『こけの世界』(保育社
1974) 『原色日本帰化植物図鑑』(保育社
1976)
『原色野草観察検索図鑑』(保育社 1981) 『日本イネ科植物図譜』(平凡社1983) 他多数
(参加のニフティ植物会議室での02/10/26の筆者コメントを再掲)
<訃報:長田武正 先生>
−−−長田武正先生著『日本イネ科植物図譜』序文より引用
・・・ただ大井先生のご専門中の専門ともいうべき、カヤツリグサ科とイネ科の植物になるとこういうわけにはいかない。花の色は誠に地味で、全体の姿も互いによく似ており、どれもこれも同じように見えて、カラー写真もカラー図も殆ど役に立たない。できるだけ実物に近い大きな図に細部を拡大した解剖図が揃っていないと、自信を持って同定できない。しかもこれらのうち特にイネ科は、目前の庭先から深い山の中まで、どこに行ってもたくさんはえていて、その名が正確に引き出せる書物のないということは、お互いに気がかりなことである。せめて日本にごく普通に見るイネ科だけでも、誰もが名を引き出せるような図鑑ができないだろうか、図は筆者が描いて、大井先生に正確な記載、説明をつけていただく「まず150種を目標に」ということで筆者の仕事がはじまった。
だが、もともと私の専門は蘚苔学、そして学校での教育、雑務の余暇に家庭での作図というわけで、思うように進行しない。出来上がった図は大井先生に送って見ていただいて、当方から何の説明もなしに先生が名を当てたら合格、当たらなければまた描き直し、だんだん合格図が多くなってほぼ70枚ほどの図がたまった時、突然大井先生の御逝去の報に接し、呆然としてしまった。
もう止めるか、いやここで止めたら、またしばらくは日本のイネ科は日本中の植物研究者からまま子扱いされてしまうだろう。
しかも図を描いているうち、その花は小さく地味ではあっても、構造はまことに千差万別、じつに興味深い植物群であることが自然にわかってきていた、やはり続けよう、あの誰にでも親切で優しく、人に知識を与えることを少しも惜しまなかった大井先生との約束を果たすために。
こうして私の仕事は図を描くだけでなく、まず資料を集め、同定し、さらに外書に当たって事実を再確認することにまで広がっていった。もう150種とはいわず、日本の全種類を目標にしよう。・・・・
−−−引用終わり
長田先生の、イネ科植物に陽の目をあてなければとする熱意が、ひしひしと伝わってくる一文ではないでしょうか。
この図鑑のおかげで多くの人々が、イネ科を勉強する上で多大な恩恵を、いまだに受け続けておられるのだと思います。
お会いしたことはございませんでしたが、長田先生有り難うございました。
とても、とても、とても・・・残念です。心からご冥福をお祈りいたします。(02/10/26;Y)
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